松木 博

Hiroshi Matsuki

教授 日本近代文学・比較文学

研究者データベース

グルメの原典「美味礼讃」に「会食する人は同じ目的地に赴く旅人の心持ちであるべき」という一節があったと記憶しています。私たちは食卓をともにするのではありませんが、この国文科で優れた文章をともに味わい、時には議論をしながら教員と学生がそれぞれに成長して行きましょう。

出身地
宮城県生れ。ダム建設にたずさわる父親の転勤にともない生後半年で愛知県へ。その後転居十回以上、転校も重ねることで「言葉」に敏感になりました。
大学
千葉県の高校から、受験で初めて渡った北海道大学へ(ちなみに、北海道に行くことを「渡道」と言います。津軽海峡を渡るからでしょう。それから海峡以南の土地を「内地」と呼びます)。以後大学院生、助手として勤めたら、すっかり「道民」になりました。
趣味
釣り(ワカサギから鮭まで挑戦しますがいつも釣れるわけではありません)、もやし栽培(アルファルファ、レンズ豆、ブロッコリー、ひまわり等)、鉄道旅行(特に寝台車の雰囲気が好きです。近頃も2週間で4回「北斗星」に乗って、週末は札幌で過ごしてみたり、「青春18切符」ですべて普通列車で札幌から東京まで来たことも)、映画鑑賞(CATV等で昭和のB級映画を見ること。最近よかったのは1958年「恋は異なもの味なもの」)。

担当の授業について

「日本文学・文化講義A・B」……1年生の必修科目として、2年生で「卒業論文・創作」を書きこなす総合力を養います。今年の授業では夏目漱石『坊っちゃん』の漱石自筆の原稿を1人2枚担当してもらい、削除した部分や書き直しからわかったことを発表してもらっています。24枚目に「大僧(おおぞう)」という語句が出て来ますが、これが「小僧」の大型版を指すとわかると「漱石さんだって言葉を造るんだ!」とみんな感心しきりです。こんな風に毎回プチ発見があります。

「日本文学の歴史(近・現代)A・B」…既製品の文学史を覚えるのではなくて、多少は不揃いであってもよいから、自分で文学史が語れるようになることを目指しています。先週の授業でこんなことがありました。森鴎外が友人の賀古鶴所(かこつるど)の別荘に飾る「鶴荘」という額を贈ったという手紙を読んでから、鴎外の別荘にもお揃いの「鴎荘」の額があったことを鴎外の子供が書いた文章で示すと「おソロ(お揃いのこと)?」なんてつぶやきが聞こえました。当時48歳になっていた鴎外も粋なことをしていますね。

「卒業論文・創作」いわゆるゼミの授業では、これまで以下のようなテーマで書いてくれたゼミ生がいます。「宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』研究」「森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』研究」「山田かまち研究」「『こころ』における友情」「森鴎外に影響を与えた女性」などなど。いま(卒業年次)しか書けない文章を書くゼミ生の「ひたむきさ」に、教員はいつも励まされるのです。


研究内容

研究のきっかけ
日本の近代文学が成立する時期への興味が、大学院生として研究を始めた頃から私を動かしてきました。この時期の作品には、特別に深いテーマや華麗な文体があるわけでもないのです。けれどもそこには、確かに不格好ではあるけれど手造りの実験的な表現形式が現われ、たった1作で消えて行ってしまったりしていました。例えば森田思軒の『十五少年漂流記』の会話の部分の気高さ。今でも読み返しては感動します。
森鴎外という存在
そうした近代の初期文学作品群の中で、森鴎外の存在の大きさに次第に惹かれて行きました。例えばジャン・ジャック・ルソーの「告白録」を鴎外は「懺悔記」というタイトルで部分的に翻訳し紹介しています。「懺悔記」自体は未完の翻訳ではありますが、与えた影響は大きいものでした。そうした結実しなかった試行錯誤の幅広さや豊かさを、登山家が未踏峰を1つ1つ登頂していくように、研究を続けたいと考えています。

「浅間山」……高校時代に登ってから、ほぼ毎年眺めに出かけています。現在は登ることが出来ない(活動中のため)「生きている」山であること、時に噴煙を上げるその荒々しさも魅力です。これは群馬県側からの眺めです。

「はやぶさ」……もう引退してしまった寝台特急列車。懐かしいというより、そこに乗って出会ったひとたちが忘れられません。古いからよいのではなく、自然と会話が生まれる「ゆとり」を持った乗り物だから好きなのです。